こんにちは。ここ数日、ウィーンでは色とりどりの花が咲き始め、野鳥が一斉に囀り始めて本格的な春の訪れを感じさせます。今年の冬は暖冬だったので、
雪が苦手(積もると走行不可能)かつ寒がりの私には本当に助かったのですが、寒い地域ならではの「春の喜び」は体験できなかったように思います。ベートー
ヴェンの「苦難を乗り越え歓喜へ」という感覚は、無論彼の人生によることが大きいのは言うまでもありませんが、やはり気候によるところも大きいと思いま
す。もし、ベートーヴェンがイタリア人で、もしくはイタリアに住んでいたら・・あの曲は書けないに違いありません。
かく言う私は、大学の休みを利用して1週間ほど、イタリアに旅行に行ってきました。残念ながらオペラのシーズンではなかったのですが、バロックの巨匠モンテヴェルディとヴィヴァ
ルディ・多くのオペラ作曲家(ヴェルディ、プッチーニ、ドニゼッティ・ベッリーニなど)の活躍したイタリア、ドイツ・オーストリアの作曲家の憧れの地で
あったイタリアを体感しにいくことが主な目的でした。ヴェネツィア、ミラノ、ローマ、ナポリ、シチリア島、移動費も宿泊費もぎりぎりまで抑えながらの旅で
したが、南北イタリアの人情・風土の違い、それぞれの魅力を肌で感じることができました。イタリア3大歌劇場にもいきました。
しかし、私は
ここで敢えて苦言を表明せざるを得ません。パリの時も感じましたが今回はそれ以上に、車椅子にはあまりに厳しい環境でした。街が古い、石畳であることは無
論承知しています。でもできるところから少しずつ改善して、積み重ねていかねばならないと思います。歩道と車道の間の段差が高い、歩道が狭い上に路上駐車
があまりにも無造作でまともに通れない、石畳はぼろぼろになっても張り替えないためがたがた、地下鉄には一つもエレベータがない。首都ローマにバリアフ
リーのホテルがほとんど皆無(インフォメーションで聞いても車椅子を受け入れられるホテルは「超高級ホテル以外はない」と答えられた。)。少々段差がある
駅やホテルも、日本であればスタッフの方が助けてくださるが、こちらではそのサービスもない。こちらから頼んでも断られる。(周囲の心ある方が手伝ってく
ださることが多いのは申し訳なくもあり、また心からありがたいことだと思う)車椅子トイレも満足に車椅子が入れるものは少ない。手すりはないものがほとん
ど。鍵が壊れていたりものすごく不潔であったり、使用する人への気配りが感じられない。世界中でバリアフリーが叫ばれて久しいにもかかわらず、改善しよう
とする姿勢が全くないのは残念至極です。日本と同様に「少子高齢化」に悩んでいるとはとても信じられない。障害者の浮浪者が多いのも悲しい現実でした。
2月に日本に帰った時、雨の中どうしてもバスに乗らなくてはならない用事があり、車椅子対応のマークはあるけれどノンステップではない通常のバスに、乗客の
方に車椅子を持ち上げてもらって乗せていただきました。その時、そのバスに乗り合わせた乗客の一人が「車椅子が乗れる設備のないバスに乗るのは人の迷惑を
考えない行為だ。身の程をわきまえて出歩くことは控えなさい。」と私に向かっておっしゃる方がいました。確かに皆さんに手伝っていただくことは、本当にご
迷惑をかけることで私も申し訳ないと思っています。障害者であることに甘えてはいけないと思います。しかし、無論、私は一人間として、出歩くことも、雨に
濡れないためにバスに乗ることも権利として持っています。私は偶然身体に障害を得ましたが、これは誰しも例外なくそしていつでも起こりうることです。明日
我が身が、もしくは自分の愛する人が同じことを言われてどう思うでしょうか。
バリアフリーというのは、まさしくその「自分と置き換える」と
いう精神によってこそなりうるものだと思います。私は車椅子ですが、目の見えない人、耳の聞こえない人、心に障害のある人、その人たちの気持ち、目線は正
確には分かりません。でも、想像することこそが大切であり、他人事ではなく明日は我が身かもしれないという気持ちが大切なのだと強く思います。
私は人の心や物的なバリアに遭遇すると付添いや周囲の人に面倒をかけ情けない思いにとらわれますが、、自分の夢のためにも、同じ苦しみを持つ人のためにも最期まで決して負けまいと思います。
日本の人はよく「日本のバリアフリーはなってない」とおっしゃいますが、日本のバリアフリーがヨーロッパより劣っているということは決してありません!身障
者トイレの中の設備の配置まで真剣に考える日本人の気配りは本当にすごいと思います。(ただ唯一バスは低床バスの割合はヨーロッパの都市の方が日本の都市
より多いと思います)日本は、今の状況に自信を持って、更に世界の指針として、高齢化に悩む地方都市までバリアフリーを進めてもらいたいと思います。(ちなみに、以前も申し上げましたが、ウィーンの交通網のバリアフリーは相当進んできています。念のため。)
2007年3月のご挨拶
こんにちは。2月は一ヶ月ほど日本に帰っていたのですが、久しぶりの日本を満喫する余裕もなく、本当にあっと言う間に時間が過ぎていってしまいました。
2月のご報告はコラムの中に掲載致します。
今日11日、私は32歳の誕生日を迎えました。ウィーンでの誕生日は実は2回目です。大学時代の1998年、友人達と卒業旅行の最終日、憧れのウィーンで 23歳の誕生日を迎え、ザッハートルテで祝ってもらったことがあります。約10年の時を隔てて、再びウィーンで節目を迎えることができようとは、その時夢にも思っていませんでした。
アパートから歩いてすぐのところに、「シューベルト最期の家」があります。シューベルトはベートーヴェンの葬儀 に参列した後で、仲間と酒場に行き、ベートーヴェンへの畏敬の念を込めて「この中で(先生のあとを追って)最も早く死ぬ奴に乾杯!」と不吉な言葉をを言っ たそうです。その翌年、彼は腸チフスにかかり、2週間の闘病の末、31歳と10ヶ月の若さで亡くなっています。今、自分が彼が死を迎えた年齢に達してみ て、あらためて、その短い人生で彼が達した純粋で温厚な精神世界に本当に頭が下がる思いがします。(私はいつもアヴェ・マリアを聴くと、前奏部分から目頭 が熱くなります。)楽聖と自分の人生を比べることはおこがましい事は承知の上です。しかし、私は私なりに、自分に与えられた限られた時間の範囲内で、なん とか自分に課せられた使命を果たしたいという気持ちを強く持つようになりました。
「使命」という言葉は時に曖昧な、感覚的な意味で大げさに 使われがちです。しかし私は、「使命」とは、個々の人間が、それぞれの生活環境や学びの中で得た信念を行動に表し、表現し、人に伝えることだと思います。 生きる苦しみや悲しみ、そして喜びを共有することこそ、個々の人間が生きる意味ではないでしょうか。私は全ての人が「使命」をもっていると思います。親 子、夫婦、友人、師弟、必ず誰かが誰かのメッセージを必要としているし、その意味において、無駄な人生、無駄な経験はないものと私は信じています。
こ こウィーンには、シューベルトだけでなく、多くの楽聖が実際に生活をしていた街です。昨日はJ.シュトラウスのゆかりの地を訪ねる機会があったのですが、 彼の喜怒哀楽を実際にその場所で知ると、本当に息使いすら聞こえてくるようです。音楽に表現されたメッセージがより生き生きと聴こえてくるように感じま す。ウィーンに来て勉強する本当の意味はここにあったのだと思いました。
今月の挨拶はひどく堅苦しくなってしまいました。年を一つとったということでこんなに力が入ってしまう自分がなんだか可笑しく感じます。32歳の一年の抱負ということでお許しください。
ウィーンはここ数日すがすがしい日が続いています。今月25日にはサマータイムが始まり、午前2時が3時になる、つまり1時間普段より早起きしなくてはなりません。なんだか、損した気分です。。
2月のご報告はコラムの中に掲載致します。
今日11日、私は32歳の誕生日を迎えました。ウィーンでの誕生日は実は2回目です。大学時代の1998年、友人達と卒業旅行の最終日、憧れのウィーンで 23歳の誕生日を迎え、ザッハートルテで祝ってもらったことがあります。約10年の時を隔てて、再びウィーンで節目を迎えることができようとは、その時夢にも思っていませんでした。
アパートから歩いてすぐのところに、「シューベルト最期の家」があります。シューベルトはベートーヴェンの葬儀 に参列した後で、仲間と酒場に行き、ベートーヴェンへの畏敬の念を込めて「この中で(先生のあとを追って)最も早く死ぬ奴に乾杯!」と不吉な言葉をを言っ たそうです。その翌年、彼は腸チフスにかかり、2週間の闘病の末、31歳と10ヶ月の若さで亡くなっています。今、自分が彼が死を迎えた年齢に達してみ て、あらためて、その短い人生で彼が達した純粋で温厚な精神世界に本当に頭が下がる思いがします。(私はいつもアヴェ・マリアを聴くと、前奏部分から目頭 が熱くなります。)楽聖と自分の人生を比べることはおこがましい事は承知の上です。しかし、私は私なりに、自分に与えられた限られた時間の範囲内で、なん とか自分に課せられた使命を果たしたいという気持ちを強く持つようになりました。
「使命」という言葉は時に曖昧な、感覚的な意味で大げさに 使われがちです。しかし私は、「使命」とは、個々の人間が、それぞれの生活環境や学びの中で得た信念を行動に表し、表現し、人に伝えることだと思います。 生きる苦しみや悲しみ、そして喜びを共有することこそ、個々の人間が生きる意味ではないでしょうか。私は全ての人が「使命」をもっていると思います。親 子、夫婦、友人、師弟、必ず誰かが誰かのメッセージを必要としているし、その意味において、無駄な人生、無駄な経験はないものと私は信じています。
こ こウィーンには、シューベルトだけでなく、多くの楽聖が実際に生活をしていた街です。昨日はJ.シュトラウスのゆかりの地を訪ねる機会があったのですが、 彼の喜怒哀楽を実際にその場所で知ると、本当に息使いすら聞こえてくるようです。音楽に表現されたメッセージがより生き生きと聴こえてくるように感じま す。ウィーンに来て勉強する本当の意味はここにあったのだと思いました。
今月の挨拶はひどく堅苦しくなってしまいました。年を一つとったということでこんなに力が入ってしまう自分がなんだか可笑しく感じます。32歳の一年の抱負ということでお許しください。
ウィーンはここ数日すがすがしい日が続いています。今月25日にはサマータイムが始まり、午前2時が3時になる、つまり1時間普段より早起きしなくてはなりません。なんだか、損した気分です。。
音楽のパレット2nd.コンサート ~今年もとことんアンサンブル~
日時 | 2007年2月8日(木)18時45分開演 |
---|---|
場所 | 広島市東区民文化センターホール |
演奏 | 音楽のパレットアンサンブル |
ヴァイオリン独奏 | 田野倉 雅秋 (広島交響楽団コンサートマスター) |
ソプラノ独唱 | 塩井 京子 |
指揮 | 宮野谷 義傑 |
演奏曲目 |
|
チケット | 一般 前売 2,500円 当日 2,800円 中学生以下 前売 1,500円 当日 1,800円 |
前回2006年7月15日の第一回のコンサートから半年、今回は弦楽アンサンブルと小規模ながら、ヴァイオリンソロに田野倉さんを迎え、非常に充実したメン バーで演奏会に臨みました。私がウィーンに滞在していたため、私の至らないところも多々あり、準備段階からさまざまな困難を抱え、主催の鈴光さんも大変な ご苦労をされて本番の日を迎えることとなりました。
私にとって久しぶりの実践の場で少々緊張しましたが、3日間のリハーサル、とても良い集中力でした。
前半は今年記念イヤーを迎える二人の作曲家、後半は音楽教師をしていた作曲家というテーマもあり、とても面白く仕上がったと思います。演奏者の皆さん、スタッフの皆様、素晴らしい機会を頂きありがとうございました。
2007年2月のご挨拶
久しぶりに日本に帰って日本の生活を満喫しすぎたのでしょうか、2月のご報告が相当遅れてしまいま
した。毎月読んで下さっている皆様、申し訳ありません。(最近流行りのブログ、毎日更新しているものを見ると、心から尊敬してしまいます。月1回ですら滞る私にはとても無理です)
2月は広島で「音楽のパレット 2nd.コンサート」がありました。このコンサートはある主婦の方を中心とした市民団体の方がコンサートの企画・運営をしてくださっています。今回は準備 段階でずっと海外にいたため、連絡等がタイムリーにできず大変なお手数とご迷惑をおかけしてしまいました。ここに改めてお詫びと感謝を申し上げます。あり がとうございました。
演奏者の皆様もとても熱心にリハーサルにご参加下さり、短いながら充実したリハーサルでした。久しぶりの実地で不安も あったのですが、温かく盛り上げてくださいました。ヴァイオリンソロ 田野倉雅秋さん(広島交響楽団コンサートマスター)ソプラノの塩井京子さん、コンサートミストレスの高橋和歌さんをはじめたくさんの素晴らしい音楽家の皆 さんと音楽ができてとても楽しかったです。
今まで海外旅行へ入っても、これほど日本を空けたことはなかったので、日本食や日本が相当恋しい だろうと思っていたのですが、それはそうでもなかったようです。やはり同伴者がウィーンでなんとか日本食を作ってくれてるおかげだと思います。とはいえ、 久しぶりの実家での食事はまたとても良いものでした。ウィーンでも日本でも本当に自分は恵まれた環境にあると実感しました。
2月は広島で「音楽のパレット 2nd.コンサート」がありました。このコンサートはある主婦の方を中心とした市民団体の方がコンサートの企画・運営をしてくださっています。今回は準備 段階でずっと海外にいたため、連絡等がタイムリーにできず大変なお手数とご迷惑をおかけしてしまいました。ここに改めてお詫びと感謝を申し上げます。あり がとうございました。
演奏者の皆様もとても熱心にリハーサルにご参加下さり、短いながら充実したリハーサルでした。久しぶりの実地で不安も あったのですが、温かく盛り上げてくださいました。ヴァイオリンソロ 田野倉雅秋さん(広島交響楽団コンサートマスター)ソプラノの塩井京子さん、コンサートミストレスの高橋和歌さんをはじめたくさんの素晴らしい音楽家の皆 さんと音楽ができてとても楽しかったです。
今まで海外旅行へ入っても、これほど日本を空けたことはなかったので、日本食や日本が相当恋しい だろうと思っていたのですが、それはそうでもなかったようです。やはり同伴者がウィーンでなんとか日本食を作ってくれてるおかげだと思います。とはいえ、 久しぶりの実家での食事はまたとても良いものでした。ウィーンでも日本でも本当に自分は恵まれた環境にあると実感しました。
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