2016年7月のご挨拶

こんにちは。4月・5月・6月、3か月の間更新をせず、大変失礼いたしました。特にホームページを定期的にご覧になってくださってる方々には、ご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。次々と新たなレパートリに取り組む幸せな時間もあれば、天候の変化についていけず、風邪が長引いてしまうつらい時期もありました。そうこうしているうち7月で今年も折り返し。梅雨の長雨が過ぎればもう夏。時の流れの速さにはただただ驚かされるばかりです。さらに今月で毎週末東京へ通勤する大阪生活も早くも4年目に突入しました!最初は大阪-東京間の深夜バスでの毎週の往復、いつまで体力が持つかな・・と思ったりもしましたが、まだまだ元気です!関西生活を楽しんでおります。 大阪は、NHK大河ドラマの舞台となって、若干の!?盛り上がりを見せております。


もう随分経ってしまいましたが、3月26日(土)に同志社大学の京田辺キャンパスで、化学オーケストラの皆さんとのコンサートがありました。J.シュトラウスやなかなか演奏の機会のないワルトトイフェルのワルツなど楽しい音楽をとりあげました。日本全国から集まる化学オケの皆さんの日頃の積極的な取組みと集中力のお蔭で、アンサンブルも音楽の内容も充実したものになりました。ご来場下さった皆様、ありがとうございました!

前回の更新から3ヶ月のはずですが、4月の熊本での大震災、5月のオバマ大統領広島訪問、6月の都知事辞任、イギリスのEU脱退、今月は憲法改正の是非が問われる総選挙!と、数多くの印象的、衝撃的なニュースが続き、半年や1年も空けてしまったような感覚があります。特に先月は、2日に母方の祖母が亡くなり、個人的には忘れえぬ月になりました。母方の祖父は私が2歳のときに亡くなり、秋田にいた父方の祖母も小学生のとき亡くなったので、ほとんど思い出がありません。今月亡くなったおばあちゃんは、同居こそしたことがありませんでしたが、同じ東京に住んでいたこともあり、子供の時から色々な思い出を残して下さった唯一の祖父母でした。九州の料亭で育ったおばあちゃんが作る料理は、お出汁も火加減も絶妙で、なんでも感動するほど美味しかったことが思い出されます。病気をした時に作ってくれたおじや、一緒にしてくれたトランプ。何気ないことが思い出に変わるものだと改めて感じました。

おばあちゃんは1921年(大正10年)生まれ、94歳の大往生でした。3ヶ月ですらいろいろなことがあったと感じるのですから、90年を超える月日の経験、ご苦労は、平和な時代にしか知らない自分の想像をはるかに超えるものであったろうと思います。10代、20代を戦中、戦後の最も厳しい時代を生き抜いて、祖父と出会い、母を産み育てて下さったからこそ今の自分がある。そう思うと、とても言葉にできない感謝の気持ちでいっぱいになります。三味線と旅行が大好きだったおばあちゃん。音楽、オーケストラと向き合うと不思議とエネルギーが湧いてくるのも、大阪と東京の間の移動が全く苦にならないのも、もしかしたらおばあちゃんのDNAのお陰かもしれません。幸い、告別式に参列することができたので、お別れと感謝をお伝えすることができました。

祖母の人生に思いを馳せたとき、改めて自分の人生、命は自分だけのものではないと強く感じます。両親が、それぞれの祖父母が、更に遡って多くのご先祖様が、周囲の人と助け合って、病気、災害、戦争、さまざまな苦労を超えて生き抜いて命を繋いできてくれたからこそ、今ある自分の命なのです。このことは、今を生きる全ての人だけでなく、動植物、命あるもの全てに共通で、至極当然のことです。ともすると空気や水の存在のように当たり前に感じてしまいがちです。


これまで40年の人生の中で、病気その他様々な事情で、無念にも早く亡くなってしまった友人が何人もいます。赤ちゃんで亡くなってしまった人の運命をも知っています。そうした人の思いを考えると、今の自分の存在は物凄い奇跡であるに違いないのです。さらに、便利なものであふれ、平和で明日の衣食住に困らない今の生活があることも長い人間の歴史の中で奇跡のような瞬間であると思います。(もちろん国内外問題、個々の問題いろいろあるには違いありませんが・・) 生まれてきたこと、40年生きてこれたこと、好きな音楽に向き合うことができること。自分の存在がどれほどありがたいか。日々の生活や音楽を通して生まれる多くの人との出会い。我ながら本当に幸せな人生だと思います。 一方で、未来の日本、世界を考えると本当に不安になります(自分の未来も常に不安ですが・・)。4人に1人が65歳以上という、歴史上経験したことのない高齢化社会の現代。「今」を担う大人の一人として、無力で至らないことばかりで、申し訳なくさえ感じます。それでも、祖母をはじめ、過去を生きた多くの方が懸命にして下さったように、次世代に向けて自分の使命を全うできるよう、4年目の大阪生活も、一日いちにち、しっかり考えて生き抜いていこうと思います。