いよいよ本格的な秋の到来です。「食欲の秋」「芸術の秋」「読書の秋」。食欲は季節的にも生理的にもよく分かるのですが、、芸術、読書はどうして「秋」なのでしょう。夏は暑いし、冬は寒い、春は・・花粉が飛ぶからでしょうか?
み
なさんは「芸術」といえば、まず最初に何が思い浮かびますか?このホームページを見てくださっている方の多くの方は、「音楽」かもしれません。その他に
も、絵画、文学、陶芸、彫刻、演劇、舞踊、それぞれ独自の、そして無限に近いほど表現の幅を持っています。つくづく、人間の創造力はたくましいものだと感
じます。
「音楽」はとても特殊な芸術だと私は常々感じています。音楽は「音」による芸術です。ですから音楽は目に見えません。触れることも
できません。、音楽は一瞬に限られた空間でしか存在できません。録音をしたとしても流れている音楽は時間の中にしか存在できないことにかわりはありませ
ん。人はなぜ音の集合体である音楽に感動するのか、長調はなぜ明るく、短調はなぜ悲しく感じるのか、今も解明されてはいません。本当に不思議な芸術だと私
は思います。
音楽は「再現芸術」であることが大きな特徴です。絵画や彫刻、文学の場合、人は作品そのものに触れて共感をすることができま
す。しかし、音楽の場合、作曲家が残したものは楽譜です。楽譜を読んで感動できる人は本当にわずかな人たちだけです。そこで音楽にはどうしても再現する作
曲家とは別の立場の人間が必要になります。それが私たち演奏家です。
演奏家の立場は、文学で言えば「朗読者」、演劇で言えば「俳優」にあた
ります。作品を作った人の伝えたかったことを自分の感覚を通して理解し、自分の持てる表現力の限りを尽くして、聞いている人、見ている人に伝える、この意
味で音楽と文学の朗読、演劇は共通していると私は思います。ですが両者には決定的な違いがあります。言葉には意味があるためイメージが束縛されますが、歌
詞のない音楽には直接的な意味がないことです。だからこそ音楽は難しいとも言われますが、そうではありません。直接的な意味がないからこそ、感じ方は自由
なのだと思います。自分の心に直接響いてきたことそれぞれが答え、真実なのだと私は思います。「歌」は意味を持つ言葉と、直接心に響く音楽の両面をあわせ
持っているために、もっとも多くに人に愛される芸術なのだろうと私は思っています。
芸術の一番おおきなテーマは「共感」にあると私は思って
います。作品を作った作家、作曲家、画家たちとの共感、再現している演奏家、俳優への共感、そして「芸術」を通して普段真摯に見つめることのない自分の心
を見つめなおす自分への共感。作曲家と共感する喜び、聴衆の皆さんに共感していただける喜びを両方味わえる演奏家の立場を私は本当に幸せだと感じていま
す。
12月25日・26日にモーツァルトの作品を中心に、音楽と中山忍さんの朗読を織り交ぜた新しい形でのコンサートを行います。ぜひモー
ツァルトとの共感、不肖私たち演奏家との共感、朗読される中山忍さんとの共感、そしてご自身の心と向き合うためにご来場いただければ幸いです。