2007年3月のご挨拶

こんにちは。2月は一ヶ月ほど日本に帰っていたのですが、久しぶりの日本を満喫する余裕もなく、本当にあっと言う間に時間が過ぎていってしまいました。
2月のご報告はコラムの中に掲載致します。

今日11日、私は32歳の誕生日を迎えました。ウィーンでの誕生日は実は2回目です。大学時代の1998年、友人達と卒業旅行の最終日、憧れのウィーンで 23歳の誕生日を迎え、ザッハートルテで祝ってもらったことがあります。約10年の時を隔てて、再びウィーンで節目を迎えることができようとは、その時夢にも思っていませんでした。

アパートから歩いてすぐのところに、「シューベルト最期の家」があります。シューベルトはベートーヴェンの葬儀 に参列した後で、仲間と酒場に行き、ベートーヴェンへの畏敬の念を込めて「この中で(先生のあとを追って)最も早く死ぬ奴に乾杯!」と不吉な言葉をを言っ たそうです。その翌年、彼は腸チフスにかかり、2週間の闘病の末、31歳と10ヶ月の若さで亡くなっています。今、自分が彼が死を迎えた年齢に達してみ て、あらためて、その短い人生で彼が達した純粋で温厚な精神世界に本当に頭が下がる思いがします。(私はいつもアヴェ・マリアを聴くと、前奏部分から目頭 が熱くなります。)楽聖と自分の人生を比べることはおこがましい事は承知の上です。しかし、私は私なりに、自分に与えられた限られた時間の範囲内で、なん とか自分に課せられた使命を果たしたいという気持ちを強く持つようになりました。

「使命」という言葉は時に曖昧な、感覚的な意味で大げさに 使われがちです。しかし私は、「使命」とは、個々の人間が、それぞれの生活環境や学びの中で得た信念を行動に表し、表現し、人に伝えることだと思います。 生きる苦しみや悲しみ、そして喜びを共有することこそ、個々の人間が生きる意味ではないでしょうか。私は全ての人が「使命」をもっていると思います。親 子、夫婦、友人、師弟、必ず誰かが誰かのメッセージを必要としているし、その意味において、無駄な人生、無駄な経験はないものと私は信じています。

こ こウィーンには、シューベルトだけでなく、多くの楽聖が実際に生活をしていた街です。昨日はJ.シュトラウスのゆかりの地を訪ねる機会があったのですが、 彼の喜怒哀楽を実際にその場所で知ると、本当に息使いすら聞こえてくるようです。音楽に表現されたメッセージがより生き生きと聴こえてくるように感じま す。ウィーンに来て勉強する本当の意味はここにあったのだと思いました。
今月の挨拶はひどく堅苦しくなってしまいました。年を一つとったということでこんなに力が入ってしまう自分がなんだか可笑しく感じます。32歳の一年の抱負ということでお許しください。

ウィーンはここ数日すがすがしい日が続いています。今月25日にはサマータイムが始まり、午前2時が3時になる、つまり1時間普段より早起きしなくてはなりません。なんだか、損した気分です。。