2004年9月のご挨拶

こんにちは。先月は真夏日の連続記録、そして今月は台風の上陸数の記録更新と異常気象が続きましたが、ここ数日穏やかなようで安心しています。風も日に日に涼しくなって、虫の声も聞こえるようになってきました。
話題は変わりますが、このところ、立て続けに子どもの命が犠牲になる悲惨な事件が相次ぎ、心を痛めています。ロシアのテロ、愛知一家殺害事件、栃木兄弟誘拐殺人事件、虐待による死、自殺・・どれだけの命が奪われたことでしょう。

子 どもはあらゆる可能性に満ちています。これからたくさんの人と出会い、学び、恋をし、誰かの心の支えとなり、家族を持ち、そしてなにかを成し遂げる、その 無限の可能性を、大人の都合で閉ざしてしまうのです。子どもたちは社会的弱者です。大人の庇護を必要としています。誰もが子どもの時は多かれ少なかれ大人 に守られて成長してきたのです。それが昨今、子どもたちは守られるどころか、民族紛争や戦争などの大人の都合により殺され、複雑な家庭環境等の犠牲とな り、挙句に大人の性欲や精神ストレスの受け皿にすらされてしまう現況を見逃していて、果たして私たちは本当に「大人」といえるのか、「社会」といえるの か、痛切に疑問と無力感を感じます。

私は、「生きること」は「伝えること」であると考えています。自分自身の感覚、感情、信念を人に、なに かしら表現して伝えることが「生きること」であると考えています。子どもは親の分身とよく言いますが、まさに子育てこそ、その「伝えること」の最も根源た るものだと思います。生物学的な遺伝子レベルから、ちょっとした言葉遣い、立ち振る舞い、生き様にいたるまで、子どもは知らず知らず親から伝えられ、自分 のものにしていきます。伝えられたことはたとえ親が死んでしまったとしても、その子どもの中で大切に受け継がれ、生きていくものなのです。

そ してこの「伝える」ということは、たとえ自分の子どもでなくとも十分起こりえると思います。学校の先生、塾やピアノの先生など教える立場の者は言うまでも なく、日常のちょっとしたすれ違いでも、子どもと向き合うこと、接することは、大人にとって何かを伝えるチャンスであると私は考えます。その子から発せら れたメッセージを受けとめてあげること、その子に対する愛情、人間や生き物への優しさ、何かに打ち込む頑張り、あきらめない姿・・。そんなたいそうなこと でなくてもいいんです。微笑みかけるだけでも、見守るだけでも、もっとも大切なこと、人の温かさは伝わると思います。

私は2歳で事故に遭い ました。でもそれは過失で、人の悪意ではありませんでした。事故にあったおかげで、不自由になったおかげで、たくさんの人の優しさ、温かさに触れて、ここ まで幸せに生きてきました。共稼ぎや離婚など大人のやむをえない事情で子どもが寂しい思いをしている今こそ、身体の不自由でない普通の子どもたちにも、社 会的にもっと包んであげる心構えが大人に必要であると私は思います。

音楽を生きがいにする身として、子どもたちにどういう音楽をどう伝える かは大きな課題だと思います。ただ親しみやすい音楽を聴いてもらうことだけでは足らないと思います。(導入には当然必要ですが。)音楽は心、感情と連動し ます。作曲家や演奏家との共感を生みます。音楽の持つメッセージをどう伝えていくか、その機会をどう作っていくか、課題として取り組んでいきたいと思います。

最後に、今回のような事件で、無念にも愛する子どもを失われた方々に、心よりお悔やみ申し上げるとともに、二度とこのような事件が起こ らないよう、忘れ去られることのないように、辛いことであろうと思いますが、その無念さを多くの人に伝えていっていただきたいと願ってやみません。