2019年3月のご挨拶

漸く日差しも温かくなって、花も咲き始めました。東京では桜はちょうど満開を迎え31日(日)の今日は上野公園あたりは大変な人でにぎわっている事でしょう。関西はなぜか東京より開花が遅いようでこれから4月第1週に見頃を迎えるようです。3月も最後の日の更新になってしまったので、3月を振り返りたいと思います。

3月は、驚くほど多くの出会い、懐かしい人との再会に恵まれた1ヶ月でした。オーケストラやアンサンブルの練習はもちろんのこと、バリアフリー探鳥会、障害と音楽・芸術を考えるワークショップ、母校ICUでの恩師の最終講義、日野市内の中学校での車椅子体験などなど!11日にお蔭様で44歳を無事に迎えることが出来ましたが、まるでもうその日から3ヶ月以上経ってしまったような感覚です。
出会い、再会が「音楽」や「バリアフリー」というキーワードの同一線上にあり、どこか必然性すら感じる不思議な1ヶ月でした。毎年、誕生日を迎えるたびに「内面的にも社会的にも、こんな大人でよいはずがない。」と情けない気持ちになるのですが、それでもそういった方々との出会いを通して、自分の目の前にある道を、一歩一歩ひたすら進むしかない、そう改めて感じました。

そう感じたのは、自分にとって偉大なヒーローの突き進んできた姿を初めてこの目で見たからかもしれません。3月21日、東京ドームでのイチロー選手の引退試合で、長年憧れていたスーパースター・イチローの姿をはじめて生で!見る事が出来ました。(この日も小中学校時代の同級生と懐かしい再会!)車椅子席は抽選だったのですが、二日目当選する事が出来ました。うすうす覚悟はしていたのですが、まさかの引退試合となってしまいました。さみしい気持ちでいっぱいなのですが、最後の一瞬までの全ての瞬間、準備運動からキャッチボールに至るまで、その凛とした、美しい姿を実際に見る事が出来た事を脳裏にしっかり焼き付けておきたいとおもいます。

 イチロー選手の超人的な偉大さは今更私が言うまでもありませんし、とても書ききれません。18歳から45歳になるまで、日本で9年、アメリカで19年、28年という長い期間、大きな怪我もせず、日米通算4367本のヒットを重ね、もくもくとルーティンワークをこなし続け、バットやグローブを自分の身体のように大切にし、多くの人の期待に応えるプロフェッショナルとして、やらなくてはならないことをひたすら遂行してきた彼に、人間のもつ可能性や誠実さの素晴らしさを感じてやみません。
人は「人に自分の信じるメッセージを伝える」ために生きていると私は考えています。彼は自分の信念を、決してぶれることなく、一切妥協する事もなく、ただひたすら野球に向き合う姿勢で、日本だけでなく、世界中の人に伝えてきました。(勿論イチロー選手の日常を知っているわけがありません、彼のプレーや周囲の選手の敬意がそう確信させてくれるのです。)その精神力こそが、スーパースターだと感じました。東京ドーム全体がイチロー選手への思い、エネルギーは深い愛情に包まれていて、特別な空間でした。人は最終的に人の心の中でずっと生き続けることが出来る事を実感できる瞬間でした。

人生は一度きり、享楽主義の自分には、尊敬してやまないイチロー選手のようなストイックなスタイルは向きませんが、それでも今、自分があることに感謝を忘れず、自分の信じる道を、自分の信じる方法で、自分の信じる方向に歩み続けて行こうと思います。