2013年3月のご挨拶

 こんにちは。3月も半ばを過ぎて、春の暖かさが日に日に実感できる季節になりました。そしてお蔭様で11日に、38歳の誕生日を迎えることが出来ました。お祝いのメッセージを下さった皆さま、ありがとうございました。少年のとき、15歳寿命説を勝手に信じていた自分が、その時の親の歳を超える38歳という歳をを迎えられたのは、相方、両親、先生方、音楽仲間や友人お一人お一人のおかげです。温かい笑顔と音楽に包まれ、幸せな日々を歩んでこられた事に心より感謝申し上げます。

 二年前のあの日から、私の誕生日が特別な日になってしまって、3月を迎える前からいろいろ思いをめぐらせておりました。音楽家が絶望の淵に自分は何をできるのか、障害者の自分になにができるのか、自分の存在に自信を喪失したときもあれます。一方で、それでもフランクルの「夜と霧」にあるように絶望的なときでも音楽は人の心を救うと確信し、音楽に取り組む事ができる自分に幸福を感じている自分もいます。しかし、そんな素晴らしい音楽の力をどれほど自分は引き出せているのか、それとも殺してしまっているのか、過去を振り返ると恐ろしく感じます。心の中の整理がつかず、なかなか自分の今の思いを言葉にするのは難しく、書いては消してを繰り返し、更新がここまで遅くなってしまった次第です。

 指揮者は一人では全く成り立たない仕事です。身を削りながら音楽を創り出してくれる作曲家、プロでも、アマチュアでもそれぞれの限られた時間と労力で築き上げた技術で臨んでくれる演奏者、通常その間に人は介在しないのですが、大勢で演奏する時のみ、そこに介在できるありがたい立場です。現場には様々な声があります。楽譜を通して、作曲家の声を聞き、指揮台に立てば、演奏者の皆さんの心の声が聞こえます。演奏者の皆さんの声はいろいろあります。時には厳しい声も聞こえます。でもそうした声を聞いて、自分の心にも耳を傾けながら、コミュニケーションを積み上げて一つの音楽を作り上げていく事が、自分にとって何よりも幸せです。

 40歳の足音が間近に聞こえてきました。少年のときの父、恩師と比べ、なんとも情けない自分の現状、体力の衰え、不惑に程遠い自分の精神に、焦りと孤独と自己嫌悪を覚え葛藤する日々です。とはいえ、どんなに嘆いても、自分の人生、自分の身体、自分の心です。より謙虚に皆さんの声に耳を傾け、地道に、どんな逆境も糧にして、いつの日か、絶望の淵にでも必要とされるような存在に近づきたいと思っております。