2021年1月のご挨拶

 あけましておめでとうございます。昨年を振り返るには、あまりにも言葉にならないことばかりで、ご挨拶をどのように書いたらいいか思案したまま、早1月も最終日になってしまいました。心の中で閉じ込めているばかりでは前を向くことすら叶わないと思い、今の心境を吐露する覚悟でここに記してご挨拶に代えさせていただきたいと思います。

 2020年は私が最も敬愛する作曲家の一人、ベートーヴェン生誕250年の記念すべき年で、さらには東京オリンピック・パラリンピックが開催される、個人的にも様々なコンサートやイベントが企画、予定されていた一年でした。しかし、まるでそれらが儚い夢であったかの如く、次々と白紙になってしまい、心のなかにぽっかりと大きな穴が空いたような一年になってしまいました。「こんなことが本当に起こりうるのか」日本中どころか、世界中の人が、そしてあらゆる世代の人が、全く同じ思いで目に見えないウィルスの脅威に震撼する事態になろうとは想像すらできませんでした。友人と食事をすることや酒を交わすこと、通りすがりの人と笑顔で会釈を交わすこと、明日も健康でいられると思うこと、日々の当たり前の生活がこんなにも脆く崩れ去っていくことに、そして日常生活を取り戻すのにまだどれほど時間と労力と様々な犠牲を費やさなければならないのか、トンネルの出口すら見えない状況に愕然としています。健康的、心理的、経済的、様々な問題が人によっては生命を脅かす状態にまで追い込まれた状況で、隔離、ソーシャルディスタンス、マスクなど感染拡大を防止するために、人と人が思いを交わし、共有することも叶わない、お見舞いすらいけない、亡くなった方のお見送りすら叶わない。くしゃみや咳ひとつに、する側もされる側も神経をすり減らす。本当に筆舌に尽くしがたい殺伐とした非常に厳しい一年であったと思います。

そんな中でも、演奏者同士の距離を取る、パネルで空間を区切る、演奏者、観客の人数を減らす、換気休憩を30分ごとにとる、体温測定、消毒を徹底するといったオーケストラの皆様の様々な工夫、努力のおかげで、音楽を愛するオーケストラの皆さんと共に、音楽への情熱の火を燃やし続ける、音楽の感動を共有する機会をいただけたことは、私の中で非常に大きな財産となりました。あらためて、2020年一緒に音楽をしてくださった皆々様に、心より感謝申し上げます。

 2020年は私にとってもう一つ悲しい出来ことがありました。中学校時代の3年間、私の担任をして下さった恩師K先生がお亡くなりになったという知らせを頂いたことです。自分が将来指揮者になってオーケストラを振るなんてまだ露ほどの想像もつかなかった小中学校時代。この9年間の先生方、友人との素晴らしい出会いが、今の自分の感性や人生観の根本を作ってくれました。特に多感だった中学校3年間を担任してくださったK先生の存在は自分には大きいものでした。

当時、私は「生きることの意味」を真剣に悩みました。人もすべての生き物も、誰もが「死」を受け入れなければならない存在。なのに、どうして生まれてきたのか。結末が「死」だと分かっていてどうして悲しみや苦しみが目の前にある日常を生きなければならないのか。明日訪れるかもしれない恐ろしい「死」をどうやって迎えたらいいのか。みなどうして平然と生きていけるのか。私は持病で小中学校時代に何回か入院・手術を繰り返ししたり、入院中小児がんと向き合う同世代の子と出会ったりする中で、自分は「15歳寿命説」を勝手に信じながら、死を恐怖として受け入れられず、生きる意味を模索していました。

 悩んでいた私に、K先生は「人には一人ひとり使命がある」とおっしゃってくださいました。「今はその使命が何かはまだ分からないだろうけれど、君には君の人生から生まれた『君にしかできないこと』がきっとある」とおっしゃってくださいました。今悩み抜いていることも、身体や心の苦しみも、人との出会いも、挫折も、人との出会いも無駄ではない、遠回りでもなにかにつながっているのだと先生は伝えてくださいました。この先生の言葉は人生の背骨のように、今でも力強く自分を支えてくれています。まだ指揮者として駆け出しの頃、何度かコンサートにもいらしてくださいました。自分にも人にも厳しい怖いK先生でげんこつを何発もいただきました。信念と優しさを併せ持った先生でした。ずっとご無沙汰してしまったK先生にもう一度きちんと御礼をお伝えしたかった。非常に無念でなりません。

 2021年、46歳になります。15歳寿命説の3倍を超えることになりました。多くの方と出会い支えられてきたおかげで、長い道のりを来ることができました。写真は小学校入学式、6歳の時の写真です。それから40年、ようやく自分の使命が見えてきました。音楽や言葉を通じて、多くの人にいただいた勇気をより多くの皆さんと共有すること、特に未来を担う子どもたちと共有していきたいと考えています。コロナ禍に屈することなく自分の使命を全うしてまいりたいと思います。

くにたち市民オーケストラ 2021年ニューイヤーコンサート

日時2021年1月17日(日)
13時30分開場(14時開演)
※感染症対策のため、開場時間より前のご来場はご遠慮ください。
 ※公演時間は1時間を予定、終演予定時刻は15時です。
場所くにたち市民芸術小ホール
 JR中央線国立駅南口よりバス「芸小ホール・総合体育館前」下車
 またはJR南武線谷保駅/矢川駅から徒歩10分(市役所そば)
曲目 <金管アンサンブル>(中止)
 J.シュトラウス2世(黒川圭一編):喜歌劇「こうもり」ファンタジー
 J.ウィリアムズ:映画「ハリー・ポッタと賢者の石」より「クィディッチ」
 <オーケストラ>
 J.シュトラウス2世:皇帝円舞曲
 J.シュトラウス2世:アンネン・ポルカ
 J.シュトラウス2世:「酒、女、歌」
 J.シュトラウス2世:ワルツ「芸術家の生涯」
 J.シュトラウス2世&ヨゼフ・シュトラウス:ピチカート・ポルカ
 J.シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」
 ※都合により演奏曲目が変更になる場合がございます。ご了承ください。
演奏くにたち市民オーケストラ
指揮宮野谷 義傑(みやのや よしひで)
チケット 前売り券・当日券 1,000円
※全席指定
※未就学児の入場はご遠慮ください。
共催 公益社団法人 くにたち文化・スポーツ振興財団
くにたち市民オーケストラ
チケット取扱
 くにたち市民芸術小ホール 042-574-1515
 白十字国立南口店 042-572-0416
 (株)文具しまだ 042-576-4445
お問い合わせ
 くにたち市民芸術小ホール 042-574-1515
https://kuzaidan.or.jp/hall/?p=5943
 くにたち市民オーケストラ事務局:


URL:http://www.kuni-orche.com
E-mail:

2020年5月のご挨拶


2月の高津市民オーケストラの皆さんとのコンサートではたいへんご好評いただき、3月には誕生日のお祝いメッセージもいただき、早く皆様に御礼を申し上げなければと思っておりましたが、あまりの未曾有の出来事に言葉も出ないとはこのこと、どうしても筆が進まないまま、桜の季節も過ぎ、新緑の季節になってしまいました。草木も虫も野鳥も、自然の営みは粛々とその季節のうつろいを謳歌している一方、私達人類は、春を迎える前から世界中で出口の見えないトンネルに入ってしまいました。しかもそのトンネルはいつ自らの上に崩れてくるかもわからない。その先が潰れてるかもわからない。不安のどん底のまま2ヶ月以上が過ぎようとしています。2020年新年を迎えたときに誰がこんな状況を想像し得たでしょう!


毎朝、目が覚めると、スマホでニュースを確認してしまう癖がついてしまいました。「ああ、随分怖い夢を見たな・・」で終わってほしかったなといつも思ってしまいます。新型肺炎は自分が感染者かもわからない、いつ重症化するかもわからない、いつの間にか周囲の人にうつしてしまっているかもわからない、治療方法もわからない、検査も治療も受けられるかもわからない、いつ薬ができるかもわからない、抗体が機能するかもわからない。緊急事態もいつ終わるかもわからない、何を持って終わりとするかもわからない。経済、食料受給もいつまで持ちこたえられるかわからない。右を見ても左を見ても、分からないことばかりですから誰もが不安になるのは当然です。微熱や頭痛、倦怠感だけでも「死」が脳裏をよぎるほど不安になる事態が来るなんて思いもよりません。そもそも「一瞬先は闇」、人生はまさかの連続、なにが起こるかわからないものだからこそ、今を大切にして生きていこうと思って生きてきました。東日本大震災を身を持って経験した私達は「日常」や「普段」がどんなに脆いか分かっていたはずだけれど、いつのまにか明日も今日と変わらない一日が来る、「日常」に慣れてしまっていたのだなと思います。当たり前のことが当たり前にできる。「日常」がどんなにありがたかったか、どんなにか脆いものか、失ってからいつも気づいてしまうのです。今の自分があるのも決して当たり前ではなかったのです。障害をもった自分を明るく力強く育ててくれた両親、家族、そして人生をより豊かな時間にして下さった恩師、友人の皆さん、音楽の素晴らしさを体感させて下さった音楽の師匠、そしてオーケストラの皆さん、活動を支えてくださった多くの皆さんに心から感謝を申し上げたいと思います。

私は、指揮者として、この世にオーケストラのための美しい音楽が星の数ほどあること、そしてオーケストラの皆さんと一緒に音楽をできるということがこんなにも幸せだったのだと改めて噛み締めています。指揮者は一人では音楽はできません。一緒に作って下さる方々がいてこそ、初めて音楽作りができます。リハーサルやコンサートにはどうしても「三密」(密閉・密集・密接)が音響やアンサンブルの都合上欠かせなません。(インターネット上でのアンサンブルはどうしても時差が発生します。)コロナ禍は指揮者にとってまさにどうにも活動できない事態なのです。オーケストラの皆さんと音楽づくりができるのは一体いつになるのでしょうか。この自粛・自宅待機は、感染拡大防止のために必要不可欠であることは先刻承知ではありますが、「不安や悲しみの中にいるときこそ、「音楽」は多くの人の心に勇気や慰めをもたらすことができる」そう強く信じているからこそ、非常にもどかしく、どうしても悔しい思いが溢れてしまいます。この状況がいつまで続くのか、いつまでもつのか、常に大きな不安に苛まれています。

しかし!!!不安や絶望が深ければ深いほど「魂の叫び」である「音楽」は輝きを増すのです。過去の偉大な作曲家達は、今の普通の生活では考えられないような不安や恐怖、絶望を通して、数々の音楽を生み出してくれました。わずかではありますが印象的な音楽をご紹介します。もしご興味をお持ちになられましたらぜひ聴いてみてください。stay home の一助となれば幸いです。

・1768年、当時ヨーロッパ中で大流行し致死率20~50%という天然痘にわずか11歳で感染し、一時危篤に陥ったモーツァルトは、奇跡的に命をとりとめ、治癒後自身初めてトランペットとティンパニを編成に加え、生命感溢れる交響曲第7番を書きました。

・1809年、ナポレオン率いるフランス軍に包囲されたウィーンでは、中心部まで砲撃が及び、パトロンであった貴族たちは次々疎開し収入は断たれ、住居のすぐ間近に砲弾が次々と着弾する激しい轟音と地響きの中、ベートーヴェンは地下室にこもり、決して精神は屈しないといわんばかりに力強く輝かしいピアノ協奏曲第5番「皇帝」を書きました。

・1839年、生涯を通じて肺結核に苦しみ、たびたび流行するインフルエンザにも悩まされていた(当時は治療薬なんてない!)ショパンは、療養のため訪れたマヨルカ島で高熱に苦しみ、死の恐怖にも怯えながら有名な「雨だれ」を含む「24の前奏曲」を書きました。

・1903年、「荒城の月」「箱根八里」を作曲後。念願のドイツ留学を果たすも、わずか5ヶ月で肺結核にかかり、無念の帰国をした滝廉太郎は、23歳の若さで自分の死が近いことを悟り、ピアノ曲「憾(うらみ)」を書き、言葉にならない怒りや悔しさを音楽にぶつけました。

・1918年、2歳の時、免疫系の気管支炎にかかり短命を宣告され、さらにクローン病という難病も抱えながら、美しい音楽を残した女性作曲家リリ・ブーランジェは、まだ24歳の若さで死の床につき、もはやペンも持てない状態の中、口伝えで姉に書き取ってもらいながら「ピエ・イエス」という悲しみと静けさに満ちた祈りの音楽を残しました。

・1936年、時の権力者スターリンによる大粛清によって、友人、親戚が次々と逮捕、処刑され、ソビエト機関紙で「体制の反逆者」と烙印を押されたショスタコービッチは、次は我が身という不安と恐怖の中、命がけで緊迫感に満ちた交響曲第5番「革命」を書きました。

上記にご紹介した以外にも、シューベルトやシューマン、スメタナ、シベリウスなど、深い悲しみや絶望の中で音楽を書いたであろう作曲家は枚挙の暇がありません。今のように医療も確立されていない、衛生面も治安も情報伝達も私達の生活環境とは全く比較にならないような厳しい状況下です。そうした中で不治の病、戦争、粛清などに瀕し、「死」への恐怖、不安や絶望、突き抜けた悟りのような境地などの体験を通じて生まれた音楽からは、それでも「心から溢れてくる思いを音楽として残したい」という並々ならない情熱、執念、覚悟が伝わってくるように思います。

数週間後かも知れませんし、数ヶ月後、もしかしたら数年後かもしれません、もしかしたらその前に命が尽きているやもしれません。もしそうではなく、無事にこのトンネルを抜けることができたとき、そこにはどんな景色が待っているのでしょうか?コロナ禍の前と同じような日常が待っているのでしょうか?個人でも企業でも国家でも皆、大きく傷ついています。正直、まだ想像もつきません。

今このときも、不安や恐怖の中、お仕事をして下さっている数多くの皆様、ーーー医療・介護・福祉関係の皆様、交通・輸送・販売・金融・公務員関係の皆様、農業・漁業・畜産業・製造業やゴミ収集・水道・電気・ガス・通信・インターネット・放送等、食料・ライフラインを支えてくださる皆様ーーーの奮闘のおかげで私の自主隔離生活が成り立っていることに感謝を忘れず、作曲家たちが魂を削りながら残してくれた音楽と、ベランダから見える穏やかな景色から心のエネルギーを貰いながら、苦手な引きこもり生活を送ってまいりたいと思います。最後に「三密」とは本来仏教、密教の言葉で、①身密(身体・行動)②口密(言葉・発言)③意密(こころ・考え)のことで、これらを整えることを「三密の修行」というそうです。この世界的な困難を突き抜けた暁には、力の限り、音楽によって皆様の心に癒やしや喜びをお伝えできるよう、今はじっと我慢。体力、知力、気力を蓄えて、精進して参りたいと思います。

一日も早い状況の打開と皆様のご無事を、心よりお祈り申し上げます。

2020年2月のご挨拶

みなさんご無沙汰しております。年始早々、ご挨拶が遅くなりました。今年の冬は例年にない暖かさですが皆様いかがお過ごしでしょうか?2020年、東京オリンピック・パラリンピックもあり、賑やかな一年になりそうです。特にパラリンピックは、様々な障害、病気という運命と闘っておられる方が世界中にいるということ、そしてその中で諦めなければ多くの可能性を人は見いだせるということを間近に感じられる貴重な機会になりそうです。一方で最近の地球規模の異常気象、新型ウイルスへの不安など、今まで漠然と不安に感じていたことが少しずつ現実として感じられるそんな年明けになりました。仕事や車椅子体験のボランティア活動で子どもたちに接する機会が多くなりました。子どもたちの明るい未来を作るのは今を生きる大人の務めだと思います。アインシュタインの『いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできない。』という言葉のように、危機感を強く感じられる今こそ、大胆な価値観の転換が必要なのだと思います。SDGs(持続可能な開発目標)が世界で提唱されるようになった今、2020年が良い意味で分岐点のなった、そんな一年になることをねがってやみません。

さて、2020年(令和2年)2月22日(土)午後2時から川崎市高津区にあるすくらむ21ホールで行われる高津市民オーケストラ第26回定期演奏会の指揮をいたします。(随分「2」にご縁のあるコンサートです)2011年からのお付き合いで今回、定期演奏会の指揮をさせていただくことを大変嬉しく思っております。プログラムのうち2曲はなんと、昨年化学オーケストラの皆さんと演奏した、フィンランディアと新世界です。(全くの偶然であることに驚きを隠せません!)よく指揮者が変われば音楽も変わると言われますが、それは勿論オーケストラにも当てはまります。音楽のへのインスピレーションは人と人のコミュニケーションの中から生まれます。今回、高津市民オーケストラの皆さんとどんな音楽が生まれるか、今から楽しみです。名曲ばかりの親しみやすいプログラムです。もしご都合がよろしければ、ぜひともご来場ください。

3月上旬には、東京立川の昭和記念公園で行われるバリアフリー探鳥会のお手伝いをさせていただきます。下見の様子のブログです。
ひなこのお散歩日記
バリアフリー自然探検隊
また中旬には電気学会で指揮に関する講演をさせていただく予定です。
令和2年電気学会全国大会ホームページ

音楽、自然観察、バリアフリー活動、どれも今までの自分を支えてくれた大切なものです。こうした活動を通して多くの方と知り合い、自分を通して多くの方が繋がる。それが本当に幸せなことだと感じます。人と人の出会いは世界と世界の出会いだと思います。そこにこそ、新しい世界や価値観もあるように思います。2020年も深夜バス、新幹線を駆使して全力で駆け抜けたいと思います!どうぞ宜しくお願いいたします。