2005年5月のご挨拶

こんにちは。今年は大型連休になったG.W.、いかがお過ごしになりましたでしょうか?私は、国際 フォーラムで行われたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン音楽祭2005を堪能しました。初日は当日券を買うのに2時間待ちという盛況ぶり。クラシック音 楽を気軽に楽しむ機会を求めている人はまだまだたくさんいらっしゃるという実感を持ちました。庄司紗矢香さんの演奏は今回もコンチェルト、ソナタともに歌 に溢れ、緊張感に満ちたすばらしい演奏でした。いつか演奏者側でこの音楽祭に参加したいという思いを強く持ちました。

今月の話題はやはり、 先月25日のJR西日本の福知山線脱線事故について書きたいと思います。連日のように、ニュースやワイドショーで報道を見るたびに、なんの前触れもなく突 然自らの人生を奪われること、そして大切な人を奪われることほど悲しいことはないのだと痛感しています。亡くなられた犠牲者の方々が歩んでこられた人生が 紹介され、お一人お一人が精一杯生きていらっしゃったのを知るたびに涙を抑えることができません。難病を克服し新たな人生を歩もうとしていた方、母子家庭 を懸命に守ろうとしていた方、定年後の夫婦そろって田舎暮らしを楽しみにしていた方。不幸にしてその電車に乗り合わせてしまった107名の人たちの思い、 そしてその人を大切に思っていた周囲の人の思いが一瞬にして砕け散ってしまったことが非常に残念です。
そして、私は今更ながらはっとさせら れました。普段何気なく電車で同じ車両に乗り合わせる人、ひとりひとりが深い人生の歴史を持っていることに気づいたのです。それは当然のことに違いないの ですが、それがいかに膨大で深遠であるかに改めて気づいたのです。うれしそうに話している人、うつむいている人、はにかみながら誰かにメールを送っている 人、疲れて眠っている人・・。外側からでは想像すらできない世界をひとりひとりが持っている、そして家族や友達、恋人、たくさんの人の思いがひとりひとり の存在に込められている。それはまるで宇宙の奥を覗き込むように深く、膨大な可能性に溢れていることのように思えるのです。

日常生活の中で はどうしても「自分」の日常に追われてしまいます。「自分」の思いが先にたってしまいます。大切な人の気持ちさえ、気づかず、自分の都合のために踏みに じってしまうことがあります。私はわがままな性分なのでしょうか、そういう面があると反省しています。何気なく同じ電車に乗り合わせた人々ひとりひとりが 深いストーリーを持っていることをいつも忘れず、お一人お一人に対して積み重ねてこられたであろう人生への敬意の気持ちと、その人の持つ可能性に思いを馳 せることこそが「思いやりを持つ」第一歩であると私は思います。その気持ちこそが、事故再発防止への道であるように思います。

たくさんの人に愛され、無限の可能性を秘めたまま突然未来を断たれてしまった107名の犠牲者の皆様に心よりご冥福をお祈り申し上げます。