2004年11月のご挨拶

モーツァルトモデルンちらし画像
いよいよ本格的な秋の到来です。「食欲の秋」「芸術の秋」「読書の秋」。食欲は季節的にも生理的にもよく分かるのですが、、芸術、読書はどうして「秋」なのでしょう。夏は暑いし、冬は寒い、春は・・花粉が飛ぶからでしょうか?
み なさんは「芸術」といえば、まず最初に何が思い浮かびますか?このホームページを見てくださっている方の多くの方は、「音楽」かもしれません。その他に も、絵画、文学、陶芸、彫刻、演劇、舞踊、それぞれ独自の、そして無限に近いほど表現の幅を持っています。つくづく、人間の創造力はたくましいものだと感 じます。

「音楽」はとても特殊な芸術だと私は常々感じています。音楽は「音」による芸術です。ですから音楽は目に見えません。触れることも できません。、音楽は一瞬に限られた空間でしか存在できません。録音をしたとしても流れている音楽は時間の中にしか存在できないことにかわりはありませ ん。人はなぜ音の集合体である音楽に感動するのか、長調はなぜ明るく、短調はなぜ悲しく感じるのか、今も解明されてはいません。本当に不思議な芸術だと私 は思います。
音楽は「再現芸術」であることが大きな特徴です。絵画や彫刻、文学の場合、人は作品そのものに触れて共感をすることができま す。しかし、音楽の場合、作曲家が残したものは楽譜です。楽譜を読んで感動できる人は本当にわずかな人たちだけです。そこで音楽にはどうしても再現する作 曲家とは別の立場の人間が必要になります。それが私たち演奏家です。

演奏家の立場は、文学で言えば「朗読者」、演劇で言えば「俳優」にあた ります。作品を作った人の伝えたかったことを自分の感覚を通して理解し、自分の持てる表現力の限りを尽くして、聞いている人、見ている人に伝える、この意 味で音楽と文学の朗読、演劇は共通していると私は思います。ですが両者には決定的な違いがあります。言葉には意味があるためイメージが束縛されますが、歌 詞のない音楽には直接的な意味がないことです。だからこそ音楽は難しいとも言われますが、そうではありません。直接的な意味がないからこそ、感じ方は自由 なのだと思います。自分の心に直接響いてきたことそれぞれが答え、真実なのだと私は思います。「歌」は意味を持つ言葉と、直接心に響く音楽の両面をあわせ 持っているために、もっとも多くに人に愛される芸術なのだろうと私は思っています。

芸術の一番おおきなテーマは「共感」にあると私は思って います。作品を作った作家、作曲家、画家たちとの共感、再現している演奏家、俳優への共感、そして「芸術」を通して普段真摯に見つめることのない自分の心 を見つめなおす自分への共感。作曲家と共感する喜び、聴衆の皆さんに共感していただける喜びを両方味わえる演奏家の立場を私は本当に幸せだと感じていま す。
12月25日・26日にモーツァルトの作品を中心に、音楽と中山忍さんの朗読を織り交ぜた新しい形でのコンサートを行います。ぜひモー ツァルトとの共感、不肖私たち演奏家との共感、朗読される中山忍さんとの共感、そしてご自身の心と向き合うためにご来場いただければ幸いです。

2004年10月のご挨拶

こんにちは。やっと晴れ渡りましたね!本当にうんざりするほど今月はよく雨が降るものです。出かけ るときに限って土砂降りの雨、台風。1ヶ月近く入院した時以来、久しぶりに、自分が太陽によって生かされていることを痛感しました。今月後半は、気持ちの いい日が続いてほしいものですが、もう次の台風が顔を覗かせているようです。

先日、メジャーリーグ、マリナーズのイチロー選手が前人未到の 年間262安打を達成しました。これまでのシスラー選手の記録を抜いた瞬間を、幸いテレビで見ることができたのですが、ものすごい大歓声の中、今まで真剣 な表情を崩さなかった彼が、本当に嬉しそうな表情になったとき、マラソンのゴールシーンのような感動を感じて目が潤んでしまいました。(当のイチロー選手 は泣かないのに)

長いシーズン、毎日毎日続く野球人生の中の1球1球、走塁の一回一回、身体のコンディションも精神力もベストを尽くして、 ヒットを一本一本積み重ねてきた結果であることを思うと本当に頭が下がります。プレッシャーや気合、失望といったものをあまり表に出さない彼も、スランプ のときや記録達成の前には眠れないこともあったと彼は明かしています。決してプレッシャーや不安を感じないのではなく、彼はいつも真正面に向き合って戦っ ていたのだなと知りました。
イチロー選手は、誰もが認める練習の虫だそうです。そして、練習の後、チームメートがあきれるほど長い時間をか けて、毎回自分のグローブを磨いているそうです。集中力、感謝の気持ち、こういったことを日々の繰り返しの中で忘れないことが、イチロー選手の素晴らしい 点ではないかとおもいます。

私の敬愛する指揮者小林研一郎先生は、こう仰っていました。「私たち指揮者は自分で音を出さない。演奏者の方に 音を出していただかなくては成り立たない。だから、指揮者はせめて、棒の一振り一振り、正確に、かつ、全身全霊を込めて振らなくてはならないんだよ。」 と。またこうも仰っていました。「私たちの演奏する音楽は、自作のものでない限り、当然そこにあるものでは決してない。昔の作曲家が魂を削って作り上げた もので、それを多くの人が受け継いで、今われわれの手元にあることを忘れてはならない。」と。先生はずっと、コンサートもリハーサルのときも、指揮台に上 がる前には一礼をされます。先生もまた、日々の中で自分の信念を忘れずに、積み重ねていらっしゃる方だと思います。

口で理想を言うのは簡単 です。人を批評することはたやすいことです。ですが、甘えることなく自分を見つめて反省をすることは、勇気が要り、本当に難しいことです。相当の体力、気 力が必要なことだと思います。さらに日常を重ねていく中で常に持ち続けることは本当に至難だと私は思います。
イチロー選手は、記録達成の瞬間も涙をすることがありませんでした。これは、まだ自分がゴールに達したとは少しも思っていない、まだ戦いの最中であるという自覚があるからなのでしょう。国民栄誉賞の打診も、野球人生が終わるまで辞退すると発表したようです。

私も自分にでき得る範囲内で、何かを積み重ねるべく、日々戦っていこうと思います。

2004年9月のご挨拶

こんにちは。先月は真夏日の連続記録、そして今月は台風の上陸数の記録更新と異常気象が続きましたが、ここ数日穏やかなようで安心しています。風も日に日に涼しくなって、虫の声も聞こえるようになってきました。
話題は変わりますが、このところ、立て続けに子どもの命が犠牲になる悲惨な事件が相次ぎ、心を痛めています。ロシアのテロ、愛知一家殺害事件、栃木兄弟誘拐殺人事件、虐待による死、自殺・・どれだけの命が奪われたことでしょう。

子 どもはあらゆる可能性に満ちています。これからたくさんの人と出会い、学び、恋をし、誰かの心の支えとなり、家族を持ち、そしてなにかを成し遂げる、その 無限の可能性を、大人の都合で閉ざしてしまうのです。子どもたちは社会的弱者です。大人の庇護を必要としています。誰もが子どもの時は多かれ少なかれ大人 に守られて成長してきたのです。それが昨今、子どもたちは守られるどころか、民族紛争や戦争などの大人の都合により殺され、複雑な家庭環境等の犠牲とな り、挙句に大人の性欲や精神ストレスの受け皿にすらされてしまう現況を見逃していて、果たして私たちは本当に「大人」といえるのか、「社会」といえるの か、痛切に疑問と無力感を感じます。

私は、「生きること」は「伝えること」であると考えています。自分自身の感覚、感情、信念を人に、なに かしら表現して伝えることが「生きること」であると考えています。子どもは親の分身とよく言いますが、まさに子育てこそ、その「伝えること」の最も根源た るものだと思います。生物学的な遺伝子レベルから、ちょっとした言葉遣い、立ち振る舞い、生き様にいたるまで、子どもは知らず知らず親から伝えられ、自分 のものにしていきます。伝えられたことはたとえ親が死んでしまったとしても、その子どもの中で大切に受け継がれ、生きていくものなのです。

そ してこの「伝える」ということは、たとえ自分の子どもでなくとも十分起こりえると思います。学校の先生、塾やピアノの先生など教える立場の者は言うまでも なく、日常のちょっとしたすれ違いでも、子どもと向き合うこと、接することは、大人にとって何かを伝えるチャンスであると私は考えます。その子から発せら れたメッセージを受けとめてあげること、その子に対する愛情、人間や生き物への優しさ、何かに打ち込む頑張り、あきらめない姿・・。そんなたいそうなこと でなくてもいいんです。微笑みかけるだけでも、見守るだけでも、もっとも大切なこと、人の温かさは伝わると思います。

私は2歳で事故に遭い ました。でもそれは過失で、人の悪意ではありませんでした。事故にあったおかげで、不自由になったおかげで、たくさんの人の優しさ、温かさに触れて、ここ まで幸せに生きてきました。共稼ぎや離婚など大人のやむをえない事情で子どもが寂しい思いをしている今こそ、身体の不自由でない普通の子どもたちにも、社 会的にもっと包んであげる心構えが大人に必要であると私は思います。

音楽を生きがいにする身として、子どもたちにどういう音楽をどう伝える かは大きな課題だと思います。ただ親しみやすい音楽を聴いてもらうことだけでは足らないと思います。(導入には当然必要ですが。)音楽は心、感情と連動し ます。作曲家や演奏家との共感を生みます。音楽の持つメッセージをどう伝えていくか、その機会をどう作っていくか、課題として取り組んでいきたいと思います。

最後に、今回のような事件で、無念にも愛する子どもを失われた方々に、心よりお悔やみ申し上げるとともに、二度とこのような事件が起こ らないよう、忘れ去られることのないように、辛いことであろうと思いますが、その無念さを多くの人に伝えていっていただきたいと願ってやみません。

2004年8月のご挨拶

こんにちは。暑い日々が続いておりますがお元気ですか?今年、東京は都心部で7月6日から「真夏 日」(昼間の最高気温が30℃以上になった日)が38日連続(8月12日時点)となり、気象庁が大手町で観測を始めた1923年以来、95年の37日(7 月23日~8月28日)を抜いて記録更新となったそうです。

「記録更新」といえば、今年は「オリンピック」の夏です。毎回、さまざまな種目 で、努力、集中力によって作られてきた驚異的とも思えた過去の記録が、塗り替えられて、大会新記録、世界新記録が生まれていく様をみると、世代を超えて積 み重ねられた経験と努力による人間の進歩のすばらしさをつくづく感じます。

それと同時に、オリンピックで「自己新記録」を、出すことができ る選手たちにもつくづく感服します。4年間積み重ねてきたもの全てをかける大舞台で、自分の最高の姿を表現できる精神力がすばらしいと思います。どんな舞 台でも、自然に身体が動くように練習や経験を積めば積むほど、そこから冷静な判断と自信を得ることができます。しかし、逆に積み重ねたものが大きければ大 きいほど、失うことへの恐怖、失敗、ケアレスミスへの不安、そして周囲への期待から来るプレッシャーに押しつぶされそうになることも事実です。そんなプ レッシャーに打ち勝つヒントを、最近スポーツ選手の表情や言葉から得ることができました。キーワードは「信念」「勇気」「感謝」です。(会社の壁に貼って ありそう・・ですが)これからの音楽人生の中で、そして音楽に限らずちょっとした困難に遭遇した時に、思い起こせたらと思います。

まず、 「信念」。自分の目標を最後の最後まで見据えて、あきらめないこと。集中力こそが、不安や恐怖が脳裏によぎることを防ぐ最も大きな手段だと、私は思いま す。スポーツでも、演奏でも、思いもよらぬミスに動揺し、そこから崩れていってしまうことがあります。そんなときにも、自分の目標はいったい何なのか、再 度確認して最後まであきらめないことが、結果を導くのだと思います。
そして「勇気」。さまざまな勇気が必要だと思います。信念を貫く勇気。 周囲の期待に惑わされず、等身大の自分を認める勇気。その中で印象的だったのは、テニスの杉山愛選手の言葉にあった「自分の未来を信じる勇気」です。「特 に根拠があるわけではないけれども、自分は将来、必ず目標に到達できると信じている」と彼女はインタビューの中でおっしゃっていました。彼女には遠く及ば ない自分ではありますが、でも私も共通の思いがあります。自分は他人の人生を生きることはできない、自分の人生しかない。その人生、必ず自分の望んだ方向 に進んでいくと、根拠はないのですが、私もそう信じています。そしてこれからも、もっと強く自分を信じていこうと思います。

最後のキーワー ドは「感謝」です。柔道の谷亮子選手が「今、柔道をできることに、周囲が支えてくれていることに感謝している」とおっしゃっていたときに、彼女の強さの秘 訣を感じたように思いました。一流のスポーツ選手も、一流の音楽家も共通していることは「表情が輝いていること」です。今、自分が好きなことに没頭できる 環境に感謝し、心から楽しんでいるから表情が輝いているのだと思います。「ピンチの時こそ、自分をアピールするチャンス到来と思って感謝する」という長嶋 茂雄氏の言葉もすばらしいと思います。(この方にプレッシャーは無縁な気もしますが・・)困難なとき、不安なとき、この「感謝」の気持ちを忘れがちです が、自分の壁を乗り越えるチャンスだと思って、チャレンジできることを感謝して、立ち向かって生きたいと思います。

今月はずいぶん長い文章 になってしまいました。読んで下さり、ありがとうございます。(ぜひ、ご感想をメールでお送りください)年に1回といった大きなイベントや、大人数の人前 といった状況に陥ると私たちはプレッシャーを感じるわけですが、思えば人生の一瞬、一瞬がそのときし来ない唯一の機会ですし、人目のない時など本当はない はずです。日常の細かいことでも、常にベストを尽くすように、かといって身体的、精神的に無理をするわけでもなく、ただ前向きにチャンスを生かしていきた いと思います。

がんばれ、日本!がんばれ、一瞬に賭けてきた選手たち。