2004年5月のご挨拶

ロストロポーヴィッチ氏との写真
こんにちは。みなさんG.W.はいかがお過ごしになりましたか?気分転換に旅行に出かけた人、ゆっくり身体を休まれた人、大切な人と一緒に時間を過 ごした人、普段したいのにできないことを楽しめましたか?逆に、皆さんが休日を楽しまれるために、休日の方が忙しいお仕事の方もいらっしゃると思います。 その方々は今頃やっとお休みが取れているのかもしれませんね。

私も以前、サラリーマンをしていた時期があります。会社に勤めていた時はあん なに貴重で時間が過ぎるのが惜しかったのに、今こうして自由の身(!?)になると、その自由の時間のありがたみを感じられなくなってきていることに、とて も危機感を覚えています。特に平日暇で何もすることがない、というわけでは決してありません。個人的には、それぞれコンサート、練習日、その他音楽以外に もいろいろ目標があり、それに向かって準備をしているのですが、平日、休日の区別もありません。練習、本番、レッスンなど予定の入っている日はともかく、 その他の日は当然、会社の休憩時間ように与えられた時間枠がないので、どうしても生活にメリハリをつけることが難しくなってしまっています。これは、会社 勤めをされている方にとっては、本当に贅沢な悩みだとお考えになると思います。(私もそう思います)でも、会社勤めをしていた時の方が、アフターファイブ や休日の限られた「時間」を、大切に過ごせていたなぁ・・と思い、反省しています。

「自由」や「時間」とは本来、誰かに与えられたり、制限 されたりするものではないと私は思います。(唯一与えられた時間の制限は「寿命」なのだと私は思います。)とはいえ、現実ではその人の環境、立場によって さまざまな制限がついてくることも事実です。しかし、身分制度や差別のない今のこの日本の環境であれば選択する自由は誰もが基本的に持っていると思いま す。自分の時間の中に、しっかりメリハリをつけることができるようになることが、本当に自分の時間を謳歌できる「自由人」になる条件なのだなぁと今さらな がら思います。
音楽にも似たような感覚があると思います。音楽はただ漫然となんの抑揚もメリハリもなく流れていたのでは、味も素っ気もあり ません。限られた曲の範囲内で、曲のテンポ、表情、強弱にメリハリを作曲家の意図を参考にしながら、自分でつけていかなくてはなりません。これは、至極当 然のように感じられますが、実際演奏された方ならどなたも感じたことがあると思いますが、本当に難しいことです。メリハリをつけたつもりでも、傍から聴く とそうは聞こえていないことも多くあります。メリハリをつけるということは、普段以上の覚悟が必要なことも、生活の中のメリハリに通じる部分があると思い ます。

一日一日、反省することばかりですが、めげずにくよくよせずに、でも水に流すことなく、与えられた「限りある時間」を謳歌したいと思います。